楽しく解決

私、さる19日から京都へ行って参りました。第1週は大本山増上寺での「御忌」だった訳ですが、18日からは京都の総本山知恩院にて、やはり御忌が営まれます。総本山知恩院は法然上人の御廟、ご墓所が発端となっているお寺ですので、一番大きいお堂も「御影堂」といいまして、「阿弥陀堂」よりもずっと大きくて、中心となる建物です。

総本山知恩院の境内見取り図(知恩院ホームページより)

 この御影堂、数年前まで約10年にわたる大工事中で、新しくなってからは私も初めての登嶺となりました。そこで東京の先輩が唱導師をお勤めすることとなり、私もお声がけいただいたのでした。御影堂は間口45m、奥行き35mとのことでものすごく広いのですが、そこへ何百人か分からない程の、お坊さんとお参りの方でもって浄土宗開宗850年をお勤めいたしました(東京と同じく、何日にも亘って特別なお勤めが行われます)。特に笏念仏というところでは、びっしり行列したお坊さんが特別な節でお念仏を称えながら堂内を回ります。広い堂内にお念仏の声が響き渡りました。
 そして、忘れないように付記しておきますけれど、今回の50年前、「開宗800年」の時には、光圓寺の先々代であった佐藤良智上人が、やはり東京から出向きお勤めをしたのだそうです(私は当時6歳で、記憶がつまびらかでありません)。その時の記念品であろう払子は、今でも本堂に大切にしまってあります。

とにかく大変だったのは分かる。けどそろそろ、タイトルの「楽しく解決」に向かわないのか?

 そうですね。最近何回か「社会起業」の話を聞いていたからか、「問題を解決することに積極的でありたい」というベースがあったのでしょうね。それはご法要の後、着替えも終わり、お坊さんもお参りの方も「新玄関」で靴を受け取り、移動しようというタイミングで起こりました。
 玄関近くまで行くと、大変な混雑です。昔の造りですから、最後は「階段を数段降り⇒スノコで番号札を出して⇒靴を取ってもらい⇒自分で履いて⇒下山する」という流れでした。私はなぜか列の空いている感じの所へ突入し、すんなり靴を受け取って下山の準備ができたのですが、振り返ると靴札を持って待っている方が結構おられる。担当の方も一生懸命なのですが、滞りができている。

手伝えば、少しでも早く終わりそうだな

と思いました。そして、何ら躊躇する理由もありません。自分はすんなり靴を履けたので、立場を変えて臨時の下足番になったのです。「はいーお待たせしました。お札お預かりします…少しお待ちくださいね−」と預かり、靴をお返しするのですが、札を渡す方(帰って行く方)も結構な確率で知り合いです。私に気づくと「何やってんの、お前?」「何だか面白いな」という表情になって、それを見つけたこちらも面白くて「はいー◎◎寺さまーお待たせしました−」と声を掛けながら渡していきました。

 振り返って、「問題を楽しく解決する」という一つの事例になれたようで、非常に面白く感じました。他人から見ると「何やってんの?」だったのかも知れませんが、本人は確かに楽しさを感じていた。これが連日だったらまた違っていたのかも知れないけれど、私も笑顔で、結構皆さんも笑顔で。今までは手を出さなかった部分に、ちょっとの遊び心で手を出してみた。そうしたら楽しかった。問題の役に立てたみたい。自分自身、そういった気づきと行動の軽さ、行為を楽しめることに嬉しく思いました。

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