ガンジスで足湯(水)インド4

 バラナシのホテルで早朝集合し、バスでガート(階段になっており沐浴できる)へ向かう。日の出から逆算しているのでノンビリはできないが、暗い道に既に多くの人が出ており、音楽がかかっていたり店が出ていたり。前回もボートから観光したが、今回も団体で貸し切りとして河を進む。現在は火葬場が2箇所あるのだけれど、古い方が人気だそう。たしか家族が膝を抱えてボーッと火葬を見ていたな…とか思いつつも、川岸の様々な施設の説明を聞く。ヨガの学校、日本人バックパッカーのたまり場。上から下まで相当いろんな施設があるようだ。川の真ん中で土産物屋のボートがやって来て、灯籠流しを買う。ゆったりと下っていき、古い火葬場の近くで接岸。同行のうち、希望者(と日本人ガイドさん)が沐浴するとのこと。

 この川の水については以前より様々聞いているし、元来お腹が弱いので、私は足だけ浸かることにしたけれど、勇気のある5人はパンツ一丁でしっかりと頭までガンジスによってお清めされた。インドとはいえ12月。水は冷たい。足元はヌルヌルして滑りやすい。体調を崩す人もいるようだが、逆に体調が良くなる人もいるそうで、さすが聖なる川である。
 その後は上陸したままで路地をバスまで戻る事になった。現地の坊さんもいるし、火葬場へ薪を運ぶ自転車(道幅いっぱい)、子ども、山羊、牛、バイクなど様々に行き交っている。先頭はガイドさんなのか佐々木先生か分からないが、1人で行ったら恐らく迷子になっただろう。宿みたいなところ、店など雑多に並んでいる。
 しばらく歩くと大通りへ出た。そこは警備隊(軍隊?)のおっさんが座っていて(ライフル所持)、恐らくそのお陰で中にはいなかったのであろう…物乞いの人が。通りへ出ると早速着いてくる人が何人か。最初は(たぶん)韓国語で話しかけられたが、反応しなかったら英語に変わった。「ノーワーク、ノーハズバンド、ノーマネー。ワンダラープリーズ」を繰り返していた。年の頃は私と同じ位だろうか。そして思う。「発音が正しいとか綺麗とか、そんなレベルの問題じゃないな。そんなこと気にしていたら生きていけないんだろうな」と。
 通りでは、食べ物飲み物の他、川へお備えする花や灯明、そして貸しロッカーがたくさんあった。なるほど川へ入る時に貴重品を預かる、ということなのね。ここでは、今回唯一クジャクの羽根を売っている人もいた。土産物屋も含め、他では一切見なかった。たしかヘビの天敵故に神聖視されていたような気もするが。そうして、日本では、こうして現物を前にして売り子さんと喋りながら買い物することは希有になったな…と思う。良さそうな物であるか、自分で見て確かめてから買う習慣がなくなってしまったかのようだと。

 その後、再びバスで移動してサールナートのダメークストゥーパへ。ここで父が懇意にしていた土産物屋さん(奥さんが日本人)が待っていた。少しだけ個人行動をさせてもらい、お店にも行った。現在は参道が工事中なので人通りが少ないけれど、改修が終わったらお店も再開するとのこと。中に入ると、父が求めたのとよく似た仏像とかレリーフとか多数。「もう作れる人がいなくなってきたから、お寺にあるのは貴重品だよ。大事にしてね」と。御釈迦様の一生のレリーフは、幼稚園の子ども達にも見せているし公式ラインでも使わせて貰っている。ここでも父はきっと、楽しそうに買い物したんだろうな、と思う。

 最終日。デリーの市内観光をしつつ(大気汚染が酷くて中心部には行かなかった)、国立博物館へも。あんなに大きな仏舎利は見たことがない。信仰の対象となっていて、礼拝する人もひっきりなしだった。個人的にはミュージアムショップ(図録)がもっと充実していたらいいのに…という感じ。もしかするとデジタル社会ゆえかも。

 ということで、後半(4)はかなり普通のインド観光旅行となったけれど、今回は「父の面影を探して」といった側面もあり、感慨深いものになりました。日本では浄土宗の坊さんですけれど、世界に出れば仏教徒。そして日本では体験することができないことが沢山ありました。お腹は終始快調で、これは事前に納豆を意識敵に食べて腸内環境を良くしておいたのが効いたのかも…とか密かに思いました。留守にしている間、仕事は溜まりましたけれど、価値ある時間を過ごせたと思います。ここまでお付き合い下さった読者の皆様、どうもありがとうございました(終)。

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