歳を重ねて

 光円寺の先代、父は2年前に目を瞑りましたが、私も50代半ばとなり、同級生たちも同じ経験をしてきています。

 先日、大正大学の同期のご尊父が往生され、葬儀先には間に合わなかったのですが、お参りに行きました。ご先代とは、直接の面識はそう多くなかったものの、児童教化に力を入れ、ウチの先々代が顧問をしていた研究会にも参加されて活発に活動されてきた方でした。

 私の同級生である現ご住職は、若い頃はお芝居をしたり、一緒に青年会活動をしたものですが、それも卒業となり、ここ10年ほどは偶に電話相談で一緒になる程度で、「親しくやり取りする」ほどではありませんでした。

 要するに「久しぶりに会った」のですが、何とも物腰がご住職らしくて(若い頃を知っているだけに)まぁ、ご立派でありがたいお姿になられて…と感心してしまいました(素直に)。初めて会ったのがもう30年も昔ですし、舞台の上の姿も印象的でした(非常に長いセリフをよどみなく、情熱的にドラマチックに表現していました)が、確かに年月が経ち、有難い姿になったというのが偽らざる印象です。SNSなどでも見かけますが、遊び心というか楽しむセンスは変わらず光っております。

 と感心していたら、今日はお参りの子どもに、「和尚さーん」と呼ばれました。どう考えても私のこと。「はーい」と返事をしながら出ていきましたが、改めて「自分はもはや、昔話に出てくるのに近い和尚さんなんだな」と、妙に納得しました。歳をとって成長してきたのは彼だけではない。私もまた、色々あって今に至っている。「こんな、還暦近くなるなんて思ってもみなかった」とは言いませんし、人生自体は繋がっているのですが、振り返れば確かに変化してきているなと思います。そして、彼じゃありませんが今でも遊び心は持っていると思いますし(実際まだ多趣味ですし)、父じゃありませんが好奇心は失っていないと信じています。

昔話に出てくる和尚さんというと、なんだか平和の象徴というか「のんびり・ニコニコ」という感じがする。あの雰囲気を纏いつつ、自分の中には好奇心とか遊び心がある。安定と変化が共存している状態、と言えるかな?イヤー、時々無茶な和尚さんも出てくるな、「證誠寺の狸囃子」とか、お酒を飲む描写とか、欲張りな和尚さんもいるか。だけど、全体としてのイメージは、やっぱ平和…と言ってよい…のではないかな。そういう状態でいられることを、多くの方に守っていただいているというか。

 ということで、何の捻りもない、当たり前のことですけれど、「和尚さん」と呼ばれるからには、それに応えられる自分でありたいと、素直に思った春の日でした。

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