苦はABC理論

 お坊さんに相談しよう!のサイト(hasunoha)で、「僕は寺息子で…」と始まる質問がありました。すでに5人のお坊さんから回答があり、それぞれ回答僧の個性も出ているなーと思いつつ、私のものも書き留めておこう、と思いました。
 質問者さんは、お寺の生まれだけれど(恐らく)仏教の考えに余り触れたことがないようで、数多くないお父さん(御住職)との会話の中で疑問を持った、ということのようです。
 その中で、彼が具体的に抱いた疑問とは、

よく「苦しいこの世から抜け出すために仏に祈ろう。そうすれば来世で救われる」と父親が説いていました。しかし、子供の頃、「じゃあ家族と旅行したりしてる時も苦しいの?」と聞くと、親はなんとも言えない表情を浮かべていました。

hasunoha「仏教のそもそもの前提は間違っているのでは

 どうも、「苦とはなにか」=仏教では苦をどのように定義しているのか=が焦点のようです。

 そこで、私からの答えを、一部抜粋します。

 「旅行中。今も苦しいの?」というのは、実はその人・その時に依るんですよ。旅行していること自体が苦行か否かではなく、それをどう捉えているか?が苦しいか否かになるのです。端的には「明日帰らなきゃならないけれど、帰るのがいやだ」と思っていれば苦しいし、「アー楽しかった。帰ったら仕事頑張ろう」と思えば苦しみではない。一方「旅行は始まった直後から終わることを考えて寂しくなる」という人もいます。

 明暗つきやすい例えは、「いまiphone12を使っている」をどう捉えるか。「iphone15が欲しい」と思えば苦しみに繋がるし、「12で充分」と言っていれば苦しみではない。ポイントは、あなたの言う「ある程度の幸せ」で満足できるか、「もっと!」と思ってしまうかなのです。

 そして人間、「イヤだ!」と思ってしまう点に引っ張られやすいのです。「彼女と一緒にいて嬉しい。そしてiphone12じゃ嫌だ」となった時、どちらを優先しますか?

同問答 佐藤の回答より抜粋

 お分かりでしょうか…「旅行が即ち苦なのではない。iphone12が即ち苦なのではない。その状況に対して、自分がどう感じているか・思っているかが苦となったりならなかったりするのだ」と言っているのです。

 これは、現代的には認知行動療法の「ABC理論」として紹介されることがあります。

Aが出来事、Bが認知の仕方、C が結果的に起こる感情だとすると、Aの出来事がC の感情を引き起こすのではなくBの認知の仕方を修正することによりCの感情が変わるという理論である。

公立はこだて未来大学「心の科学」

 ということで、「苦」がどのように生成されるのか、それをお伝えしてみました。それを理解すると、本当に生きるのが楽になると思うんですよねー。まぁ、彼がどのように受け取るかは分かりません。けれど!自分の経験から疑問をもち、こういった場で問いを投げかける態度は、とても宜しいものと思います(私にとっても、どのようなことが坊さんに求められているのか理解する助けになります)。

 そして、回答後半の「満足している部分と不満な部分があると、不満な方に心は引っ張られがち」というのもぜひ言いたい所なのですが、何れの機会に。

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