日本語でよかった

 昨年大流行したアニメの、次の期が始まるようです。今日お越しになったお孫さん、去年はそのモチーフの巾着袋か何かを持っていたようですが、今回はなし(のようでした)。折角なので、それに因んだ何かを話そうと思い、「呼吸というのは型だけれども、人間の心には直接触れられないのだから、型を通して心を整える」ということをお話しました。深呼吸が一番代表的ですが、お念仏や座禅といった型も、心を整えるのに適しているのです…といったことをお伝えしました。

お彼岸では、「物語と宗教」というベタな話をしたようだな(笑)。まぁ、今まで目を向けていなかった切り口ではあるけれど。

 そして、改めて件のアニメの功を考えていたら、「何々の呼吸、何の型…何やら何やら!」と技を繰り出すのですね。私としては、そこには2つの注目点があります。


1. 詳細は語られないものの、技が決まった形としてできており、故に伝えることができる。「それ、間違ってるよ」も言えるわけです。他のヒーローものと比べた場合、「そのキャラクター独自の技(スペシウム光線とかトルネードアロースカイウイングシュートとか)」を持っている場合が多いことから、「技が個人に所属していない」のは、このアニメの特異点だなと思います。

2.日本語で名がつけられている。上記の技がカタカタであることに象徴されるように、必殺技というのは得てして一般化されにくいもの。「他にはない名前を」を求めるために、外国語由来とか造語に走るのでしょうね。でも件のアニメでは「自然由来の事柄に、自らの呼吸と身体を擬えていく」という指向。流石に技本体の名前は響きがカッコいいですけれど、日本語で「これは技であり技術である」ことを明言していることは、「君も練習を積めば、できるようになるよ!!」というメッセージを発しているようにも感じます。

ともあれ、子どもたちが少しでも仏教に関心を寄せてくれれば(本家はこっちだ、というのは後々)と思います。

 

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