楽しかった

 今日は梅雨の合間という感じで、やや蒸しますが日の当たる一日となりそうです。扉を開けて年回のおつとめ。2歳の女の子がお参りしてくれました。小さい子がいると、「ウチは7歳までの子どもについて、いくら騒いでも構いません。元気だよーって、見せてあげてくださいね。でも、7歳を過ぎた方は、しっかりお勤めしてくださいね」とお願いしています。「だいたい30分かそこらだからね。」と、子どもに向けてか大人に向けてか判然としないままお伝えしています。

 不思議なことに、子どもって「お経が終わりに差し掛かった」のに気づくことが多いですね。終わりの方になると、「もうおしまい?」と親御さんに聞いて「シー、黙ってて」と言われていることも多いです。おそらく意味は全くわからないでしょうけれど、何か感じているのでしょうね。

 さて、お勤めがおわり、みなさんが本堂から下がっていきながら、彼女に何か聞いたようです。返事は「楽しかった」とのこと。フフフ…と周りの大人たち。フフフの意味は分かりませんが、「楽しかった」の意味は何となく分かります。

 つまり、みんなと一緒に時間を過ごし、何かをしたことが嬉しかったのでしょう。それを表現し、周りに喜んでもらいたかったのでしょう。そのために最適な言葉が「楽しかった」なのだと思います。一緒で嬉しい。共に嬉しい気持ちを味わいたい。そんな言葉にはならないメッセージが、そこには含まれているのだと思います。

子どもが家族という共同体の中で育っている姿だね。

 こういった子どもの言葉を聞いた時、大人が「あなたは、何だって楽しいって言うじゃない」と答えたりします。「楽しいことと、楽しくないことがあるはずなのに」という前提があるのでしょう。しかし、子どもにとって「どうだった?」と聞かれる状況が、既に楽しいのではないかと思います。一緒に何かやった。一緒に何処かへ行った。見た。経験した。「何を?」ではなく、「一緒に」であり、周りの人に聞いてもらうという「状況」が、すでに「楽しい」のではないでしょうか。

これは2歳までの特徴だね。この後は、イヤイヤ期になって色々言うようになるからね。

 その通り。この貴重な「三つ子の魂」は、いずれ成長と共に隠れてしまうでしょう。だからこそ、私たちは子どもからのメッセージを正確に受け取らなければならないと思います。

前の記事

マスクに思う

次の記事

武器としての『資本論』