知覧へ行きました
「家族の黄金期は、一番上の子が小学校を出るまで」という説もあるようですが、ありがたくも私については未だその 期間にあるようです。
8月下旬、鹿児島へ行ってきました。初の来訪で、桜島も初めてなら、知覧…特攻機の基地で現在は「特攻平和館」への訪問も初めてでした。黒豚も芋焼酎もシロクマかき氷も魅力的なのですが、実に30年来、「いつか行かねば」と胸に秘めていたのです。
ここから出撃しお亡くなりになった、439名について、できる限り一人一人の記録を残したい。その強い意志を感じた場所でした。また、当時関わった方を母に持つ語り部さんがお話するタイミングに会えたのも貴重な経験でした。勝手な感想ではありますが、
みな、誰かのために戦っていた。誰かのために生きていた。
私の感想

「見知らぬ誰かさん」ではありません。その人にとって、明確に特定できる、誰か。その人が生きることを、幸せであることを願っていた。その願いに順じて行動した。格好いいもみっともないもなく、ただ赤裸々に、そう生きていた。81年前、笑顔で写真に収まって出撃していった方が、「今、あなたがこんな笑顔を向ける相手はいますか?向けていますか?」と問うているように感じました。
その後は指宿に向かって南下していったこともあり、しばらくは開聞岳を臨みながら茶畑の間を進むことになりました。空に上がってこの開聞岳を見るとき、「ああ、もう二度とこれを見ることはないのだろう」という思いに必ずなる。その思いを受けとめ続けた山なのだな、と思いました。
当時の戦争は「航空機が勝敗を決めた」と言われているようですが、現在行われている戦争は、言ってみればリモコンの、コスパのよい兵器が主戦場らしいです。少し前まで想定されていた、「大国同士の戦争は、そのコストによって終わるだろう」という説を過去のものにしながら、また「核抑止力」という言葉をも過去のものにしながら、終わりが見えない。
慣れっこになってしまう前に、自分の身の回りに火の粉が降る前に(もう降っているんですが)、何とかなって欲しい。終わってほしい。切に願うところです。
