進路を考える

 最近、もしかしてシリーズ化してきたのかも…「お檀家さんと話して」、新たな発見というか気づきがあったので、綴ってみます。

 お婆さんの年回忌で来てくれた男の子。「いま何年生なの?」と聞くと、「高校三年生です」と。懐かしいと思いながら、「そうか、来年の進路を決めなきゃならない時期だね。社会にでるの?勉強するの?」と聞いてみました。本人しばらく無言で…隣のお父さんが「今、考え中なんだよな」と。
 ああ…。今までは取りあえず「成績」で選んできただろうに、急に選択肢があると言われて、戸惑っているんだろうなぁ、と感じました。そこで、自分の話をしてみました。

棚田(たなだ)って分かります?段々畑ならぬ、段々になっている田んぼなんです。僕、それを初めて見たときに美しさに感動してしまって、「いつごろから有るんだろう」と調べたら鎌倉時代だったんです。それで鎌倉時代に興味を持って、専門にしたんです。

 実際に書いた卒論とか修論とかは、そこからはかなり離れた話だったのですが、また今の仕事に活きているのかと問えば「そうでもない」のですが…とにかく「あの時は、棚田に感動した」という原点は紛れもないことなのです。そう、「生活している中で、感動したり疑問に思ったりする」ことを出発点にするのはどうか?と言ってみたのです。

 「いや、この子暇さえあればゲームばっかりで」とのことですから、「それじゃ興味と言ってもゲーム限定になっちゃうでしょう。多彩な経験をしなければ、好きとか専攻とか出てこないですよね」と口をつきました。そうなのです。「子どもの頃の、勉強以外の活動で、どれだけ豊かに過ごしてきたかが、ここで問われる」のではないかと言語化されたのです。

 幼稚園の子が、「大きくなったらお母さんになりたい」「幼稚園の先生になりたい」「親と同じ仕事がしたい」というのは、美しく微笑ましいことですが、一方(残念ながら)世界の狭さゆえでもあります。知っている世界、面白いと思ったり感動したことが、その子の将来、一歩を引っ張る。これは恐らく真理だと思うのです。

 だから、「進路が決められない」のであれば、「日本一周でもしておいでよ」と言っても良いのではないでしょうか。そこで苦労もしながら様々な「実態」を見てくることで、「自分の居場所」が見えてくるのではないでしょうか。そんな風に思うのです。
 学歴は大事。言葉を正しく使うことや、社会の仕組みを知ることや、健康とか物理を知ることも大事。だけれどそれらは畢竟、「何かを為すための道具」だと思うのです。だから教育の場で教える。共通のこととして習得してもらう。だけれど、使うステージがなければ、宝の持ち腐れです。小さい頃から「勉強しなさい」というのであれば、「本人がそれを使いたいと思える現場を探す」手伝い…いろんな経験をさせること…を同時に進めなければならない…なぁ、と思ったのでした。ウチの子ども達は、ほぼその年代を過ぎてしまっていますが…。