社会科魂2〜文系と理系とは?
過日お伺いしたお葬儀の時に、「理系は論理的思考を学ぶとか言いますが、文系ってどうでしょうね?」と聞きました。喪主さんは社会科の先生で、かつ同年代たっだこともあり、思い切って尋ねたのです。
その先生がおっしゃったのは、「社会科は、理系とは違いますからね…理論的でない、つまり多様性を学ぶ教科でしょう」ということでした。
なるほど、と膝を打ちました。理系科目というのは、突き詰めていけば正解…普遍性を探す学問です。同じ条件なら同じ結果になる。誰がやっても再現できる。「寝そべって解いても正解が出る(ちょっとズレてるか?☜ズレています)」そこに価値がある。
一方、社会科はどうでしょう。
同じ出来事でも、立場によって見え方が違う。地域によって、適した産業は異なる。
同じ戦争でも、勝者と敗者では記録が違う。価値観が等しくないから争いは起きる。
同じ制度でも、恩恵を受ける人と困る人がいる。万人向けの法律は存在しません(厳密には、国際人権法などが存在するが機能しきれていない)。
つまり、「人によって正しさが違う」ということ自体を学ぶ教科だ、と言えるのかもしれません。
そう考えると、
理系は普遍性を学ぶ。文系は多様性を学ぶ。
なかなか分かりやすい整理です。
おお、今回の記事はここで完成か。

いや…社会科って、本当に多様性だけを学ぶ教科なのかねぇ。
……と思ったのですが、どうもそう簡単ではありません。

長く続いた権力は腐敗する。
不安は人を排除へ向かわせる。
景気が悪くなると極端な主張が支持を集める。
時代も国も違うのに、似たようなことが何度も起きている。これって、むしろ普遍性ではないのでしょうか。
逆に理系はどうでしょう。
理系というと「正解の世界」のように思えます。
けれど実際には、

新しい発見というものは、「なぜだろう?」という個人的な疑問から始まることが多い。
研究者ごとに着眼点も違うし、興味も違う。「正解」は問いによってデザインされるから、問いが個別的なら、「正解」もその数だけあることにならないか?
そう考えると、理系の世界にも随分と個別性があるように思えてきます。
あれ?
「理系は普遍性。 文系は多様性」
そう言っていたはずなのに、だんだん境界線が曖昧になってきました。
考えれば考えるほど、文系と理系の違いを考えているつもりで、私は別の問いに近づいているような気がしてきます。
今日の到達点(新たな疑問)
人は、何を学ぶことで世界を理解しているのだろう。
そして、そもそも「理解する」とは何なのだろう。
どうやら、この話はもう少し続きそうです。
