してあげた(のに)

 日付はもう10月となり、「9月に投稿しなかった!」と気づいたのさえ15日(月の半ば)。バタバタする時期とは言え、自ら立てた目標を達成できず、ややガッカリしております。
 さて、タイトルの「してあげた(のに)」というのは、とある相談で見かけた文言です。

やってあげた、やってあげたのに、と言われるのがしんどい。頼んだ訳でも無くお願いした訳でも無く。してくれた好意をありがたくありがとうと受けた結果、後々になって、やってあげた、やってあげたのに、と言われるのはしんどい。

 分かりますねぇ、これ。してもらった、好意を受けたことは分かっているんですよ。感謝もしている。しかし、それを「やってあげた」と言われると鼻白む(白ける、興醒めする)感じがします。更に「のに」が付くとパワーアップされますよね。「私が力を貸したのに、私の望んだ結果が出ていない」と責められている感じがする。これ、どうにかならないものでしょうか?

 まず、身の回りの具体例を考えてみました。「宿題を忘れないように、ページ開いておいたわよ」というのは如何。鼻白み度は高そうですね。「お茶碗出しっぱなしだったから、流しに入れておいたよ」は?ちょっと鼻白み度は下がるのではないでしょうか?「靴が濡れていたから、乾かして新聞紙を詰めておいたよ」は、かなり鼻白み度が低くなりそうですね。それに対して「何で新聞紙詰めてるの?履きにくいじゃない!」というのは「やってあげたのに」と言われても仕方ないパターンにも見えます。

 つまり、この言葉のやりとり自体が問題になるのではなく、「何についてなのか?どんな状況なのか?」というのはどうしてもついて回るように思います(つまり因縁のはなし)。

 私自身、ネットやら何やらでいろいろな「アドバイス」的なものをさせていただいておりますが、これについてはどうでしょうか…一切思いません、「やってあげた」とは。この活動は「私自身の経験とか勉強のため」と考えているからです。もちろん第一義的には「相談者のため」ではあります。しかし本質的には芸の肥やし…他にいい言葉が見つからないのですが…だと思うのです。「こう答えてみたけれど、相談した方はどう捉えるかな?」という反応は気にしていますが、そこで一喜一憂はしません。素っ気ない返事や無言でも、「うーん、そうだったか」と思うだけです。
 要するに「見返りは期待していない」ということなのですが、そういう思いって、相談した側は感じているのかしら?勝手に想像しているのかしら?まぁ、自分を反映していることは間違いないでしょうけれど。
 「やってあげたのに」と言われたらどう返せばいいのでしょうねぇ…「うん、ありがとうね。でも期待に添えず申し訳ない」でしょうね。何らかのレシーブができれば、ボールは向こうのコート。モヤモヤはとりあえず低減するのではないでしょうか。

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