一緒にやろう
このところ、暖かい日が続いており、御法事にお越しになった方に「池の鯉に餌をやっていただけませんか」とお願いしています。すると、十中八九の方が「いいですよ」と快くお引き受けくださいます(お引き受けいただけそうな方に頼んでいる…のかも知れません)。
子どもがいる場合が多いのですが、おおよそ男性の方が(外に出ることもあって?)楽しんで手伝ってくださるようです。その中で、「親子一緒」とか「従兄弟と一緒」「おじさんと一緒」になるパターンがあります。小学生一人では危険なこともありますが、まず複数人でやってくださいます。
ふと思うに、「例えば息子が高校生だったら、普段の会話は少ないだろうなぁ。だとしても、この餌やりは一緒にできることではないか?」と。
御法事を待っている間も、学生さんは庭を眺めているか、本を読んでいるか、勉強しているか、スマホを弄っていることが多いです。つまり「一緒の空間にいるのに、行動は別々」という状態ですね。ご法事に来て「みんな同じ気持ちでご先祖様に思いを馳せましょう」なのだから、「何か一緒にやろう」が現実化しやすいもの…気軽に諾けられて、その場ででき、楽しい物…があるのは、とてもよいと思います。その場で二言三言、会話が広がるかも知れません。
お坊さんとしては、「一緒にお念仏しましょう」が本義だよな。それこそ老若男女を問わず一緒にできることとして、な。
個別化・家庭内での孤立化という問題は、もう30年以上前に提起された問題ですが、おそらく資本制の進行とともにさらに深まっているはずです。そんな中だからこそ、「一緒にできること」は、その内容が何であれ、貴重であり大切な意味があるのだと思います。