大叔父を送る

 私から見て、「祖母の弟」を送りました。神奈川の生まれで、かなり高名な和尚さんのご子息でありました。祖母は十二人兄弟の長子でしたので、かの弟さんは私の父の一歳年上(行年89歳)という、何とも時代を感じさせる関係の方でした。

 この方について、私が子供の頃知っていたのは、「幼稚園の入園考査になると、試験の監督としてやって来る」ということ、「東大の心理学を卒業し、大学で先生をしている」ということ位で、お顔は柔和なのですが、何か威厳というか近寄りがたい雰囲気もお持ちでした。

心理学の方だったら、園長である今であれば色々と聞きたいこともあっただろう?タイミングの問題ではあるけれど、もったいなかったね。

 もちろん、現代の心理学と当時のそれとは差があり開きがあると思うのですが、大叔父についての思い出は「人は徹夜をすることがある」ということ、「徹夜あけというのは、相当消耗して疲労している」ということを知ったことです。その頃は幼稚園の一学年が百人程度、受験者はもっと多かったでしょうけれど、それをすべて採点し、月齢を考慮しつつ得点化していたのです…電卓で。

 大学生の頃だったか、教育学部に行っているのを知って「標準偏差を出して、月齢の期待値を併せて、こうこう…」と説明してくださったのですが、当時はまだまだ「標準偏差をどう使うか」等ということに興味はなく、ただ通り一遍…試験で回答できるだけの知識でしかありませんでした。

 多分、私が大叔父に感じていた凄みというのは、この「徹夜明けの姿」が元になっているのだろうと思います。お風呂に行く時も明かりがついていて、戻る時も、それから水を飲みに行く時も灯いていて、全く同じ姿勢でガリガリと紙に向かって何やら書き込んでいる姿…眠ることすら拒否して打ち込むものが、そこにある。

 私が小学生の頃と言えば、ちょうど40年以上前、奇しくもその頃大叔父は現在の私の年齢ごろです。あの後ろ姿に代るものを、私は子ども達に見せているだろうか。そんな問いを起こすにも恥ずかしい現状ではありますが、「打ち込むこと」の尊さはどこかで伝えていかねばならないと思っています。

笹本至心様 超生浄土 南無阿弥陀仏。

前の記事

お十夜ご報告

次の記事

それぞれの生き方