設置と調整

 6月1日のお施餓鬼会をインターネットで中継しよう。そう決めてから色々と準備を進めております。もともと新し物好きで、機械関係も嫌いじゃないので、半ばウキウキしながらやっています。

 すでに(法要を配信することの)先輩がたくさんいらっしゃって、まずはそれらを見て回りました。なるべく「配信者というより、観客として接した場合、どう感じるだろうか」という問題意識をもって。お寺だけではなく、キリスト教会の日曜礼拝みたいなの(たくさん行われています。汗)も見せていただきました。

この、「自分の立場を意識しながら見る」ということをしておかないと、ついつい自分に甘くなりがちなんです、ハイ。

 そうしたところ、「声が明確に入っていないと致命的な感じ」を受けました。映像は(そもそも余り動きはありませんが)奇麗に撮れていても、音がイマイチ…と感じる例があったのです。そこで「声重視・音重視」ということで準備を進めることにしました。

 道具をそろえることは難しくないだろう、と思っていたのですけれど、案外品薄でした。実のところ、「インターネット中継セット」のような物は未開封で持っていたのですが、どうもそれだけでは不十分そう。重ねて中国での生産が止まっていたり、物流が良くなかったり(生活必需品ではありませんものね)、ユーチューバーの増加によるものか、こういった「自分で発信する」系のものは選択肢が限られていました。

 それでも品物は何とかそろいました。ではテスト…と思ったら、期待していたような音が撮れない。普段自分が聞いている音と、かなりかけ離れています。そして、何だか有り難くない。声が鳴り物に負けているし、響きがない。「明確に聞こえる」ことは必要だけれども、それは十分に至らない。

こうしたとき、ついつい「もっと高い機械を使えば、思うように撮れるのではないか。もっと沢山マイクがあれば、思うように撮れるのではないか」と思いがちです(私の場合)。しかし、「〇〇の沼」という言葉があるように、先へ行けば行くほど自己目的化してきやすいので、そっちは早めに諦めるのが吉ですね。

 そこで、小学校の後輩に専門家がいるのを思い出し、手伝ってもらうことにしました。流石にプロで、有る物だけで、それなりなセッティングを出してくれました(ついでにアダプターを提供してくれました)。その中で、「いい道具(マイク)を使っても、いい使い方をしなければ、思ったような結果は出ない」ということを体験させてもらいました。もちろん「道具は何でも構わない」わけではないのですが、「こうした使い方をするといいですよ」という知見は、やはり専門家ならでは。彼が帰った後でも、何パターンか試してみて、「おぉ、確かに違うぞ!今度はもう少し…!」と、試行錯誤の沼に落ちておりました。

 ということで、当日の中継がんばります。このホームページの「お檀家様向け」というところに埋め込む予定ですので、時間になりましたら「チラリとでも」ご覧ください。私のお話と、お勤めをフル中継します。

お経の練習もしっかりしておけよ!

全般

前の記事

易行ということ
全般

次の記事

お施餓鬼会御礼