AIに聞く時代でも、人に聞く意味

 昨日13時より、「春彼岸会」を行わせて頂きました。お天気も優れず、何だか肌寒さの残る中でしたが、お参りをいただき、ありがとうございました。

住職法話

 お話では「AIで色々聞ける時代になったけれど、なお人間に聞きたい事・聞きたい時もありますよね」ということで、それぞれの持つ価値(のようなもの)を少し掘ってみました。

 私自身、結構(毎日一時間くらいは)使っており(たぶん妻よりも長くやりとりしている相手)、進めている本の執筆にも活用しています。このブログで結構引用する「ハスノハ」というサイトでも、AI僧侶というのが登場しており、24時間稼働しているそうです。だから恐らく今後の社会とな諸々考えるにあたって、AI抜きでは済まないだろうな…という予感がしています(ただし「考えるにあたって」に限る)。

 結論としては「AIを使っても、人間に相談しても、それぞれの長所というか必要性はあるけれど、大事なのは!」自分で決めること、に落ち着きました。「AIがそう言ったから」でもなく「誰々さんがそう言った」「テレビがそう言った」「本に書いてあった」…すべて鵜呑みにするんではなく、「私はこう思う」に着地すること。

 これ、仏教では何て言うのかな…「自灯明」であることは間違いないのですが、「中道」もガイドとして良いのでは?と考えています。中道は「どこかに偏らず、バランスを見極める」という主体的な働きですので。そして、お彼岸のお話に相応しいので。

歓談

 実は、春秋の「お彼岸会」、とても小規模なのです。私が修行を終えて「よし、何か独自の行事をやろう」と始めたものですから、すでに30年以上にはなるのですが…細々と行っております。なので、ご参加下さった方との距離感が近い。お勤めが終わった後に「ところで皆さん、AIって使っておいでですか?」を水を向けてみました。「娘と一緒に使っています」「仕事で主に」…いろいろなお話が出ましたが、「どんな振る舞いをしてほしいか、こちらから指定するのが大事」というのが共通して出てきました。しかも、厳しめ。忖度無し。

 これは面白いな…と感じました。具体例も一々頷くものばかり。そして翻って、「世に蔓延する優しさ」が若干過剰なのではないか…という予感を抱いたりしたのです。「厳しく言ってね」という構えがあれば、人間受け止めやすいもの。それが近年「とにかく相手を傷つけないように…」というのがのべつ幕なしになっている。「どんな人にとって」が抜け落ちている。そんな心配が言語化されたのでした。

 これからも(細々でしょうけれど)続けていきたいと考えております。改めて、ご参加下さった皆さんに感謝いたします。

 なお、作成した資料はこちらにあります。