一人前になってから結婚を考える

 久しぶりに、「お坊さんに相談しよう」hasunohaサイトからの質問です。「もう友だちと一緒にいるのが疲れる」というタイトルで、26歳女性からのもの。

(前略)結婚や出産にも憧れはありましたが、優先順位の1番は自立した人になりたい。自分で自分の生活のお金を稼ぎたいという思いが強かったからです。(中略)
 彼女たちの発言には「結婚しないなんてありえない」「子供がいる人の方が〜」などと、独身女性を否定するような言葉を使います。私は独身でも結婚してもどちらでも良いと思っていますので、自分のことを否定されてるように感じてしまいます。(後略)

 現代、この年代で結婚や子どものいることに憧れている女性が多いことに若干驚きもあるのですが、質問者はどうも「結婚するよりも自立した人になる事の方が優先」と考えているようです。
 なるほど確かに現代は「社会人として一人前たれ」という風潮が非常に強く、また「イマドキの若者は…」という昔からの苦言も伝播しやすい。「学生は甘ったれでいいけれど、社会人はそうはいかない」という理想像が、(真面目な)日本人の価値観として大きくなっていても不思議はありません。

これ、「イマドキの若い人は立派だな、しっかりしているな」と思う半面、「一人前ってどういうこと?」という素朴な疑問も沸くのです。

 確かに「結婚は一人前になってするもの」というのは正しいことであるとは思います。「まだ子どものくせに、勢いで結婚しちゃって…」と顔をしかめる人もいるでしょう(私も含めて)。けれど実のところ、「一人前になる」のは相当な年月を要することでもあります。そして結婚について、「未熟な私達ですが、力を合わせて温かい家庭を作りたいです」という定番の…イヤ時々聞く…挨拶について、「何だ、お前達それでいいと思ってるのか!」という突っ込みが入ることは、まずありません。実はこちらが本音なのではないでしょうか?

 以前、ひろさちやさんのコラムで、「結婚を二人三脚と捉える人もいるけれど、世界には違う捉え方もある」として、北欧神話を紹介していました。

ひろさちや先生

ここの神様はもともと一本足で、一人ではうまく歩けないけれど、一本足どうしが手を組んで一緒に歩くことで自由に動けるようになる。二人の結びつきが強ければ、それだけ早く走れるようになる(ご尊顔の写真はひろさちや追悼サイトより引用)

 そして、「日本では結婚を二人三脚と表すことが多い。力を合わせて生きていこうという表現と言われる事が多いが、(ひろさちやとしては)これは本来一人で歩けるのを、お互いの足を縛ることで歩きにくくするイメージがあって、よくないと思う」と書かれていました。

 かなり前に読んだ本なので出典などは忘れてしまったのですが、とても印象的であり、また「自らの肝に銘ずべし」と思っていたので、今回の質問を読んで思い出した訳です。
 自分は(自意識として)一人前なのか?それとも不完全なのか?仏教では「どこまでも不完全」と考えます。そして、それで良いと。だから様々な縁によって学び成長していくのが現世の在り方だと。「私達は未熟」であることを知り、それでも生きていくという認識は「子育てさせていただく」「他人の価値観を知り、自分の考えの枠組みを広げていく」「おかげさまで、ありがとう」といった謙虚さに繋がっていると思います。
 そう考えると、「結婚は二人三脚」という考えが日本ではやはり根強く、「一人前にならなければ結婚しない」→晩婚化、に繋がっているように思えます。そして「社会で一人前の私の意見が(結婚生活において)間違っているわけない」的なイザコザが生まれやすくなるのでは…?まぁ「社会人としての一人前」と「人間としての一人前」は異なるわけで、そのあたりゴッチャにしなければ良い話でもありますが、「人間としての至らなさ」を自覚しないでは、結婚生活は難しかろうと。

 しかしまぁ、根深いというか難しい問題ですね。私も「女性の経済的自立はけしからん」等とは全く思っておらず、むしろ「自立ということを経済的な面でしか考えられない」のがオカシイと言いたいものの、それ以外の誰もが納得する基準を見いだしにくい…というのが正直なところです。うーむ、これ考え続けるよりなさそうです…。

 結局、私からの回答は、「お友達の固まった価値観が柔軟になると、あなたも友だち付き合いしやすくなるでしょう。しかしあなた自身も、「一人前じゃなければ結婚を考えない」という価値観に固執する必要はないと思います。大なり小なり勢いというものも結婚には必要だと思うからです」としました。

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