価値観の世代差
今年に入ってから、世代間における価値観の差をネタにしたテレビドラマが始まっており、私自身滅多にテレビは見ないのですが、この間機会を得て一気に見て、面白がっておりました。そして、その態度そのものが既に「世代間で差」があるようなのです。私の次の世代、つまり20代辺りには、どうも面白くないらしい。ピンと来ないのでしょうね。
コンプライアンスとか価値観の多様性とか色んな言葉が飛び交っていますが、世代間の差は今に始まったものでもなく今回が史上最大であるとも思いません。テレビの舞台は1986(昭和61)年と2024(令和6)年ですが、前者は私が大学に入学した年であり、私もおそらく「(当時の)新人類」ではあったのでしょう。『逃走論』とか懐かしいですし、「ナントカしんりきょう」の幹部にこの世代が多かったことからも、社会全体から見れば特徴をもった時代ではあったのでしょう。
ただ、今回の世代間ギャップは、ついに「弱者とされていた、虐げられていたとされてきた」人たちを解放しよう(解放した)という意味では大きいのかも知れません。歴史を紐解けば
日本では「最近の若い者は…」という決まり文句で、年配の人が若い人たちを批判することが多いようです。 古くは、紀元前 2000 年頃のヒッタイト王国(現在のトルコあたり)の粘土板で作られた書簡に「最近の若い者 は ・・・」といった現状を嘆くことばが書かれてあるそうです。古代ギリシャの哲学者プラトンも「最近の若い者は、 目上の人を尊敬せず、親に反抗 ・・・ 道徳心のかけらもない」と書き残しているそうです。平安時代にも、当時の 若者のふるまいについての批判がこの決まり文句で書かれているそうです。(サトウ註;枕草子のようです)
福井大学(?)地域活動実践センター長 三輪優氏の巻頭言
というように、「世代が違えば価値観は変わる」のはそれこそ普遍的であるのに、今回は非常に「若者優勢」である。「多様性」と言いながら自分の価値観を強制し矯正ようとしているのは同じ穴のムジナ🦡と思うのですが、「価値観は違っても一緒にやっていく」という共生に至る道はないものかと考えたいのです。イヤー、見通しを言ってしまえば、法然上人はこれらちゃんと対応されていたと思うのですけど。
今回の「若者優勢」は(今までの新人類論などと比べ)何が変わっている(新しい)のか?その辺り、お彼岸で話してみたいと思います。…テレビが打ち切りになっていなければ。