方針と方策

 「お坊さんに相談しよう」のサイトで「どうしたらいいですか?」という質問を見ると、「どう答えたらいいのかな?」というのにいつも悩みます。答えは思いついたとしても、それを「方針」で伝えるか「方策」で伝えるべきかすぐには判断できないからです。


 「方針」というのは抽象的で、言葉でしか表現できず、具体的なセリフや行動ではないもの。ただし「どうするか」に繋がっている考え方や原理です。「ここに至るには原因と環境が作用しているはずです。どんな原因・どんな環境(条件)が作用しているのか、思い当たりますか?」といった答え方になります。今のは「因縁」ですが「縁起」「四諦」「凡夫」「他力」といった理屈を伝えるということです。これの良いところは、「最終的な行動(様式)は本人が決める」ということ。それだけ現場に沿った対応が期待できることと、「自分で行動を考え、決める」という練習になることです。本来坊さんの役割としてはこの「方針」を伝えることだと考えます。「相談を受けている」時点で、起きていることの全容を見られない立場にあるのですから。そして、その人の人生を代わりに生きていくことはできないのですから。
 一方、「方策」はもっと具体的です。「こう言ってみたら」「こういう物を作ってみては」と、ビジュアル化しやすい回答です。方策で答えたときの良いところは、実行されればスピード感ある解決(あるいは結末)に繋がりやすいことでしょうか。切羽詰まっている・落ち着いていられないから取り敢えず、というとき。質問者もどう行動するかが伝わりやすい、「分かりやすい」回答になるのも良い点かと思います。しかしデメリットは先程の反対で、「自分で考える機会を作っていない」こと。もちろん振り返ってみれば「ああ、縁というものがこんなに影響していたのか」と気づく可能性はあるのですが、この「一段抽象化して捉え直す」ことができないのは、自分自身をどう育てていくかに関わっていると思います。

 「今まで何をやっても駄目でした」的な書き方をする人を見ると、「それは大変でしたね」と思うと共に、「具体策をくれ」と求めてきた人なのだろうと思います。そもそも「時々うまくいく」のが平均の世の中で、それでも「何をやっても駄目」というのは、「何をすればいいのか」の問題より先に、自分の問題の捉え方や解決の求め方…自分自身に問題があるのでしょうね。

そんな人にこそ「方針で答える」べきなんだろうけれど、きっとすでに「方策を求める」パターンが出来上がっているんだろうね…

はい…。これは、仏教に限らず「理念・方針・原則」といったものにふれる機会が減っているからだと思います。残っているのは「手軽でお得で自分だけ」なのか…(タメイキ)

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