光圓寺の歴史を探る: 新たな研究の旅

 思い立って、「光圓寺の歴史を、ちゃんと調べ直そう」と思い立ちました。お寺自体には資料は殆どなく(戦災で焼けたそうです)、いくつかの古文書に現れる記載から、断片的に組み立てるよりないのです。しかし神話的な部分もふくめて、しっかり形にしておくことは大切と思って取り組み始めました。

 幸い、小石川仏教会が発行した『小石川の寺院』という立派な本が有りますので、それをガイドにして原典をたどっていく、という手法をとっています。
その中で見つけたのが「小石川区詳細図」。昭和10年の発行です。赤丸の付いたところが光圓寺なのですが、「大銀杏」という表記も見え、「おお流石に銀杏寺」とか喜んでおります。
 上に見える緑の地帯が、現在の小石川植物園。「帝大付属植物園」とあります。その下の道が「千川通り」。後楽園から続いているはずですが、すでに暗渠なのか、川としての表記ではないようです。並んでいる■の建物は共同印刷。明治30年に建てられ、震災で被災しましたが、約10年でかなり復興したということでしょうか。
更に下に見える道は現在の春日通りで、小石川郵便局や都電?の線路も記されています。

かなり大きな地図です。

さて、見ていて気づいたのは。
 光圓寺の左右にはそれぞれお寺があり、右は曹洞宗の慈照院、左は「卍」のみですが善仁寺さんという浄土真宗のお寺でしょう。そして境界線がハッキリしていない。実は現代の地図でも、お寺の境に道がないことから、境界線が曖昧なようです。
ところが…やや先取りですが、『豊島氏とその時代:東京の中世を考える』という本では、善仁寺と光圓寺は結構盛んだった様子が覗えるのです。隣り合い、しかも異なる宗派。久しぶりに史学の文献をしっかり読んで、ご紹介できる部分はしておきたいと思うのです。
 まだ時間は掛かるとは思うものの、5年を目処にまとめていきたいと考えています。