感情の言葉をキャッチフレーズに使う勇気

 今回はちょっと珍しい視点の記事です。「お寺の中の人」が何を考えているか?というお話し。
 今日は何年振りか…宗派の勉強会というか講習会に来ました。タイトルは「お寺の未来ミーティング」。それだけだと「具体的に何するの?」が明確でありませんが、けっこう画期的な「集い」であると感じます。

 講習会・研修会というと「(どんな形にせよ)答えを教えてもらう」という色彩を帯びるのですが、今回はそれよりも「参加者が発言して対話する」ことが主眼。更に参加者が多彩!お寺の住職・寺庭(家族)・総代さんまで。東京のお寺だと「それぞれ立場が違うんじゃ…」と感じるかもですが、同じテーブルについてワイワイガヤガヤ。「お寺の現状と、課題や解決策を考えよう」という方向性とトピックのみ与えられ、しかし「なかなか話す機会のない話題」ゆえか、みんな冗舌でありましたよ。巷で稀に聞く「坊主丸儲け」とかと全く無縁な世界。皆さんと危機意識を共有しました。

 実は私だけが異邦人…東京からの参加だったので、「よそ者は黙っとれ!」的なことがあるのかとビクビクしていましたが、全くの杞憂でした。分け隔てなく接してくれた(と私は感じました)。福井の皆さん有り難し。おかげさまで、余りビクビクせずに大胆なお話をすることができました(知り合いもまず居ませんし)。

 正直、お寺の未来だって明るいとだけは言えないのですが、それを言葉に出して共有し、その繋がり(原因とか環境)を探していこう…という共同作業の姿は、どこか楽しそうでした。印象的。

 全体構成としては「レクチャー&セッション」で、その内容的な繋がり具合は如何よ、と思う所もある…「現場の問題への答え(を支える理屈)が、ここにありますよ」と言えたのか?は微妙な感じです。

 ただ、宗の示した「お念仏から始まる幸せ」というキャッチフレーズが、現場から見てどうか?を俎上に上げたことはエポックであると思います。そしてまぁ、「そのラストワンマイルは、坊さんが一人一人繋ぐべきだ」ということかも知れません。「私はこのように教わりました」で終わらない、「私はこう思うんです。私の経験はこうでした」で終わる事…つまり肉声…が大切かなと。

「コレコレで、私は自分の幸せを噛み締めてるんです」それを伝えられてこそ、今回のキャッチフレーズは活きるように思います。

 そんなこんなで、実に多彩な話が出ました。もちろん、メチャ楽しかった。「うまく行った例」の共有もありました。少なくとも、みなさん「現代にあって、お寺を意味ある場所にしたい。お寺と縁ある関係を、意味あるものにしたい」という熱意をとても熱く感じました。更に、意外な再会もあったりして(2月に行ったインドで現地の案内をして下さったお坊さんと再会しました)。

感想まとめ

講師の方が、「この講習は、魂を削りながらじゃないと、できないと話しています」と仰っていましたが、まさに「本音同士のぶつかり合い」が生じたのだろうと思います。少なくとも「生成AIに聞いてみよう」と、寝っ転がってスマホを触った結果、同じ言葉に辿り着いていたとしても、その後に及ぼす影響はかなり異なるでしょう。