努力のインフレ

 今日、ラジオを聞いていたら、ドキッとする言葉が出てきました。「努力のインフレ」。これ、現代中国の話だそうで、彼の地でも「一人っ子政策」は終了しても「子どもを産まない」傾向が見えてきているそうです。その一因として、

 教育という投資について、「(自分は)それをどれだけ重ねても、良い仕事に就けなくなってしまった」、そこに気づいて努力することを放棄してしまう。自分がそうしているのだから、次世代への教育(投資)をしたくなくなってしまう。つまり子どもをもうけない。

JAM THE PLANET 2023/10/19

 これ、日本でも結構当てはまるのではないでしょうか。機械が沢山できて便利になり、いろんな「効率的な勉強法」とかが出ていますけれども、「成功を掴むための努力が多くなりすぎて、それを諦めてしまう。レベルが上がったということではあるのでしょうけれど、「これだけ勉強したから大丈夫」というラインが上がってしまっている。

教育を「投資」と見切っていることもスゴイですけれど、確かに日本でも以前から「子どもは耐久消費財」とか言われていました。そういった価値観で教育とかゴールとかを設定しているのは、やっぱり良くないんじゃないでしょうか?

いやー、まずは「教育」というものを捉え直さなきゃならないと思います。ここで言っている教育というのは、教科を始めとする「お勉強」であって、その目的は「よい仕事につくこと」です。昔の「何で僕は勉強しなきゃならないの?」「よい会社へ行く為だよ」という使われ方をした、あの教育。
 でも、そもそもはこれ、「家庭教育」と対になっているはずのもので、「人間として育てる。人間性を育てる」という教育もあるはずです。それがいつの間にか消滅あるいは見えなくなり、今の教育しか残っていないかのようになっている。そこにこの問題が生じる根があるように思うのです。

 恐らくこの「人間性・人間らしさ・幸せ」といったものは「買えないもの」であるはず。それを育てるという意味での教育は、何処へ行ってしまったのでしょう。私からは「宗教の持つ力が弱くなっている(及ばなくなっている)ということが、この問題とは表裏一体」と見えます。私の理解では、「宗教とは人生を生きていこうとする原動力になるもの」です。そのことの欠如が「諦め」であるというのは、非常にシンプルな話ではないでしょうか。
 面白いのは、この番組で「努力のインフレ」と、「努力=勉強すること」と捉えていることです。努力というのは「今までの自分の価値観に固執せず、いろんな価値観で物事を見られるようになる」ことが本質のはずで、だから苦しさもあるし不安なことでもある。しかし新たな視点や理解を得ることで、世界を受け入れられるようになっていく。そんな成長を促すものであるはずです。そのゴールの違いが、努力を「インフレになるもの」に見せてしまっているように思います。

 いま私が一番努力していることは、多分「書道」です。今年になって始めました。第2は多分「対話型絵画鑑賞」です。繰り返し練習したり本を読んだり実習したりと、まぁ忙しい中でも時間を割いていますが、確かに上に掲げた「新たな価値観で物事を見られるように」なってきている実感があります。有り難い事に、それらによって「良い仕事に就く」かどうかは分からない…というか、あまり関連ないでしょう。しかし確実に「面白いな」と感じている。時間があればそこに費やしたい。自己満足とも言えますが、その道を歩めていることは、多分幸せなんだと思います。

 皆さんは、「面白いな」とおもって努力していること、ありますか?

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