名前を呼んで

昨晩、お通夜先からお暇の時、喪主さんから名前を呼ばれ、「今おいくつになりましたか?」とか少しお話をしました。その時、名前を呼ばれたのが何だか新鮮というか有難く感じて、記事に残そうと思います。

普段は園長として、「名前を呼んでもらうのは、赤ちゃん扱いではない、一人として扱うことですから、ちゃんと聞いてもらう時には特に必要ですよ」とかお話ししているのですが、自分が呼ばれる時は「園長先生」ないし「園長」がほぼ100%です。そういう「立場として接する」のが普通というか当然のことではある故なのでしょう、有難いと感じたのは。

ただ、振り返ってみれば「南無阿弥陀仏は、仏様を呼んでいるのです」なのですから、もしかしたら仏様も嬉しいのかも…とファンタジーも感じてしまいました。では、ご先祖さまはどうなのか?「おばあちゃん」と呼ばれるのと名前(俗名)で呼ばれるのと、お戒名で呼ばれるのと。どれが一番なのでしょうね?

おやおや、仏様に対して、そんな詮索は無粋ではないかね?思いを向けている時点で、喜んでくれるのではないかな?

確かに、そんな妄想は私の考えの狭さですね。では、「誰か知らないけれど、仏様助けてー!」というのと、お念仏はどう違うのでしょう?それはきっと、言う側にとっての安心感のようなものではないでしょうか。「我が名を呼ぶ者を助けるぞ」というのは、呼ぶ側の安心感もアップする行動を促す言葉なのかも。

 そのあたり、浄土真宗さんの「既に仏様は救うことを約束されている。お念仏は、その御礼なのだ」という捉え方と比べても、興味深いだろうね。

なるほど。でも、こう考えてくると「生きている間になるべく多くお念仏称えること」の意味も、近くにあるような気がします。

南無阿弥陀仏。ああ、お念仏の宗派で良かった。

 

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