マスクに思う
緊急事態宣言が解除され、東京の「日常化」のフェーズも進んできました。距離もありますので、マスクをして読経することは、今後取りやめようと思います。
日常でマスクをして過ごす時間がかなり増えてきて、いろいろと思うことが出てきました。それを綴ろうと思います。
まずは、「外出時はマスクをしているのが標準」と感じるようになったことです。家の中では(もちろん)外していますし、境内に出る位ならばそのままなのですが、門から出るときは「おっとっと、忘れちゃいけない」という感じで…おそらく日本人らしいのでしょうけれど、「同調」というか「みんなと同じ」であることに安心感を得ているのでしょうね。「していない人」に嫌悪感を抱いたりはしませんが、「あ…」という感覚が生じます。
一方、「マスクのフィルター効果としては、ウイルスを防御できない。自分の飛沫を飛ばさないことで、感染拡大を防ぐ効果はあるだろう」と言われています。「自分が罹っているかも知れないから、人に迷惑かけないようにマスクをしておこう」という人は多いのではないでしょうか。「医療崩壊云々」が言われていますが、関係者でなければ実感は難しいと思います。
そして、この「自分は罹っているかもしれない」という認識は、これまた日本人らしいのではないかと思います。「人間は良い面(良い瞬間)もあり、悪い面(悪い瞬間)もある」というのが仏教の認識ですから。「俺は健康だ」という信仰は、「俺は間違ってない」という主張と相通ずるように感じるのです。
そういった人間観が、結果として自らを守っている…社会的にも病気的にも…これまた良し悪しはないのですが、そんな風に感じます。
仏教者なら、「自分で判断し、責任を取る」自立を目指すべきじゃないのか?
いや、その通りです。せめて自分が罹ったことが分かったら、素直に申し出ることを心掛けます。それが「罹ったものの取るべき態度」と思います。住職にうつしたら本当に危なそうだし。