怒ることは問題を増やす

現在は、「外出自粛」ということで、普段よりも「家族と一緒に過ごす時間が長くなった」方は多いのではないでしょうか。
 嬉しいな、と思う半面、今までと異なる、「今までの普通じゃない」という意味で、ストレスを感じている方もおられるのではないかと思います。縁の深い家族。深いからこそ、「自分の思うようになる・ならない」に、敏感というか割り切れなさを感じる方は多いのではないでしょうか。

仏教では「怒りというのは、三毒と言って人間の最も大きな煩悩のうちの一つです。これに駆られると苦しみます」と教えています。そこから「怒りを抑えましょう」「収めましょう」「やり過ごしましょう」となるわけです。

 これ、本当にそうなのです。「怒りに駆られると良くない」その一つは「解決に向かわない」からです。例えば「こら。又勉強サボっているな?」「いや、やってたよ」「ちゃんと見たぞ!ぼーっとしていたじゃないか」「あれは休んでいただけだよ」「いや、もう10分もやっていたぞ」云々。

 いかにも「うまくない展開」ですね。いつの間にか「誰が正しいのか?」という話になってしまっています。叱った方(親?)にしても、叱られた方(子ども?)にしても、いつの間にか「私が正しい、お前が悪い」という論調の話になってしまうのです。子どもにとっては「親をなんとかする、という2番目の問題が発生した!」というわけです。

 こんなとき、大人の側は、「宿題を終わらせる」ことにフォーカスしなければなりません。「終わったの?」「うん」であれば「見せて。良かったねお疲れ様」で終わり。子どもも認められれば嬉しいでしょう。「終わったの?」「ううん」であれば、「何に困っているの?」がベストかと思います。終わっていない、その障害は何かを一緒に考えようというわけです。

 時々、「俺のことをバカにしやがって!」的な怒り方の人がいますが、その行動こそ「バカにされるネタ」であると心得、ゆめゆめお使いになりませんよう。

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