知型と情型
先日「嫌いだ」という表現について書いたから(調べたから)か、岡田斗司夫さんという方の喋っている動画が目に留まりました。その中で、「パソコン使える層とスマホ層、論理展開できる人としない人、知を優先する人と情の人、バカの壁と鈍感の壁」という例を出しながら「いま現実にある断層」について話していて、思わず膝を打ちました。
バカの壁、はもう20年近く前の話だね。それの対語が漸く出たのかな。「鈍感」というのは確かに違う評価軸だ。
そうなのです。バカの壁というのは結局「自分が理解できない人」がいることを示していたのですが、鈍感の壁は「共感してくれない人」とでも呼ぶべきでしょうか、とにかく「バカ←→おりこう」とは異なる評価軸で、「敏感←→鈍感」さが合わない、ということですね。
かと言って、この分類自体は新しいものではなく、昭和末には「知型の親、情型の親」という本もありました(幼稚園の図書コーナーにもあります)。ただし、(ネタバレですが)その本の力点は「お母さん、頭を使いすぎて心をつかい忘れていませんか」という「子どもの心にもっと気持ちを向けましょう」というものでした。確かに受験戦争とかいう言葉もあり(私もこの世代ですが)、知識知能偏重が問題であると言われていた時代でした。
ということは、昨今の(前回記事の)下地は既に30年前からある、ということかな。その頃の揺り返しとして「とにかく自分の心や気持ちが大切!それが一番!絶対!」という振り切れ状態になっているのかも。
ただ、「論理で動けない人」は組織には向かないだろうし知的職業に就くのも難しそう。件の本では「頭3;心7」がちょうどいいと書かれていたけれど、それも当時の感覚。どうしたって0:100にはならないだろうから、「やっぱり中道」が落とし所なのでしょうね。