違和感の先へ
日々の人生を送ってくると、様々な経験をして、「何があっても、”そう、こんなもの”だよ」と受け入れられることが増えてくると思います。私自身、以前だったら「そんな馬鹿な!」とか「あり得ない!」とか言って、自分の価値観に合わない…違和感をバリっと表明し、現実を切り捨てたりしていました。
それが最近は、「年を重ねて丸くなる」がごとく、「そうなんだよね、人生って」と受け入れられることが増えました。特に仏教の「因果・因縁・凡夫」をスケールにすると、「世の中の思い通りにならないこと(苦)にも、ちゃんと道理がある」みたいに見えることが多くなり、だんだん穏やかな人生になってきたのかな…と思います。

バイクに乗るのも、その分か?
いやいや、それは…言い切れませんが、多分にあると思います(ほら、素直)。
でも同時に、「あ、これはあるべき姿じゃないな、違うな」と言い切りたいこともあります。「常識だろ・当然だろ・昔からそうだ・俺はこれでやってきた」という「理由にならないような理由」をこえて…それでも拭えない、「違うと思うよ」があるのです。
どのジャンルで、あるいはどの言葉・定義についてであるか?は人それぞれです。けれど、「自分と身近な縁、重視している縁のある世界においては、これは通したい」というもの。それは明言して良いと思うのです。ただ。
それが周りに受け入れられるとは限らない、ところが娑婆の辛いところですね。「私は、親ってのはこういうものだと思うんだよ」と主張はしても、押し付けはできない。「リピートアフターミー」ではないのです。だけど言う。自分でその気にならない限り、曲げない。
世の中は、一つの価値観で動いているのではありませんから。
けれど逆に、そういった自分の信念みたいなのが固まってくると、「役割の中の自分」についても振る舞いが固まってくるように思うのです。「コア信念✖️立場=ふるまい」みたいな。最近、還暦を前にして、そういう感覚があります。不思議ですけど。
