先代(良純)の祥月命日
本日10月30日は、先代(光圓寺第26世)佐藤良純の四回忌(まる3年)でした。先日のお十夜でも少し触れましたが、あの時「阿弥陀様、今こそ父が参ります。今こそ、建てられた誓願によって、父を極楽へお迎え下さい」とお祈りしました。それは私にとって確かな、大きな転機でもありました。
これまでの3年間
それから3年間。「住職3年物言わず」といって、「新しく住職になった時は、とにかく周りの言葉をよく聞いて、勝手なことや新しいことは控えなさい」という教えがありますが、自分なりに意識しては来ました。

いやー、公式LINEを始めたり、インドへ行ったり、本を書こうと準備していたり、太陽光パネルを載せたり、樹木葬まで考えているそうじゃないか。
はい、確かにここまでいくつかの決断をして今に至っておりますが、振り返れば「私という人間を受け入れてもらう期間だったのだろう」という気がします。それまでの「顔」は何と言っても父でしたから、「アイツで大丈夫かな?」という思いに応えなければ、という大きな問題意識の元でやってきました。
ただ、私も50代の終わりに近づき…友だちは定年の話をする中で…新米住職となった訳です。だから、お寺の今後に向けての手を打っていきたい。これからもお寺や浄土宗や坊さんが「意味ある存在」として時代の中にあるためには、何が必要なのだろうか?どういう在り方が「意味ある」なのか?
一人の人間として
ただ、そういった「機能」は社会的存在として考えなければならないものの、原点としては「この世に生を受け、育ててもらい、多くの方と縁を持ち、いずれ老いて去って行く」存在である、という自己認識があります。父と別れた「あの日」は、確かにそれを見せつけられた一日…瞬間でした。
たまたま旧友が「僕らが旅に出る理由」という曲を紹介してくれました。
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
小沢健二「僕らが旅に出る理由」
誰もみな手をふってはしばし別れる
その通り。自分の基地たる場所はあるけれど、ときにそこを離れる必要がある。そして、それを惜しみつつ別れを受け入れる。
回る回るよ 時代は回る 別れと出会いを繰り返し
中島みゆき「時代」
今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出すよ
そう。人生は一方通行でありながら、起きている事は別れと出会いの繰り返し。苦しみも絶えることはないけれど、その中を歩む事に価値がある。だからきっと、その中にぽっかり見つかる陽だまりを喜べる。
ゴールを約束された私達
その中で、阿弥陀様はゴールを約束してくれている。「南無阿弥陀仏と称えていれば、必ず私の国に迎えるから」と。人生最大の謎で課題は「自分の一生が終わったらどうなるのか?」であり、既に答えが出ている。色んな苦はあっても、この課題の前では些事に過ぎない。
その安心感が私達を再び立たせ、歩ませてくれるのだろうと思うのです。
今日、私の弟弟子(先代の弟子で、私より後に弟子になったという関係)がふらっとお寺に来て、お勤めをして行きました。「どうしたの?」「イヤちょっと」としか会話は交わさなかったけれど、きっと彼にとっても何か自身の原点を確認しに来たのではないかと思います。

今日の記事は理屈云々ではないけれど…自分にとって大切な日。母にとっても妻にとっても、子ども達にとっても…ご縁あった皆さんにとっても。
昔は「お命日と言っても、阿弥陀様が極楽へすくい取ってくれているんだから、今更いいのでは?」という思いを抱いたこともありました。しかし、自分が行き続けるために必要な日なのですね、祥月命日は。
