ごめんなさい→ありがとう

 久しぶりに、hasunohaから引用の記事となります。その方への「回答」として書いた文章を載せていきます。「ご供養とは」を考える一助にしていただけると、ありがたいです。

こんばんは。
眠れません。
7月に愛犬が逝ってしまいました。
寂しいというか、張り合いがない、癒しもない、何か穴が空いている感じです。
眠れないから愛犬のことを思い出し、後悔するのか、後悔するから眠れなくなるのかわかりません。
亡くなる前日の後悔、数年前の後悔、数ヶ月前の後悔。色んな時期の後悔が押し寄せます。(後略)

hasunoha愛犬の死が辛すぎる 50代:女性)

そのために、ご供養があります。

こんにちは。
大切な愛犬との別れ、そしてその後に続く後悔の思いを、読み取らせていただきました。「夜、ふと思い出がよみがえって眠れない」…それはとても人間らしい姿です。
 実のところ…仏教では、その思いを「煩悩」と呼びますが、単に悪いものとは言いません。なぜなら、後悔や執着の奥には、深い愛情と優しさがあるからです。「もっとしてあげたかった」と思えるのは、それだけ真剣に向き合ってきた証です。どうか、まずはご自身の愛の重みを、否定せずに受け止めてください。
 ただ、心の中でその思いを繰り返すばかりでは、苦しみは深まります。そこで仏教では、供養という「持って行き場」を作ることを大切にします。
 花を供える、好きだった散歩道を歩く、写真に向かって「ありがとう」と語る。どんな小さな行為でも構いません。「ごめんね」と涙する気持ちが、「ありがとう」と祈る時間に変わっていくとき、後悔はゆっくりと、愛しみの形に変わっていきます。
 そしてもう一つ。亡き子への思いは、あなたの優しさそのものです。どうかその優しさを、いま身近にいる人たちへも向けてください。「ありがとう」と言えるチャンスがあったら、小さな事でも伝えてください。ご家族にでも、スーパーの店員さんにでも。
 愛犬が残してくれたのは、「愛する力」そのものです。その力を次の縁へと手渡していくことが、その子にとって何よりの供養になるでしょう。

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