先代の三回忌

 ご報告です。去る6日、先代である清誉良純大和尚の三回忌を行いました。昨年は十月半ばでしたので、それ特有の忙しい感じになってしまったことを反省し、少し早かったのですが日程を設定しました。

 まる2年ということですが、振り返ってみるとやはり目まぐるしかったな…と感じます。後のご供養席でもお話したのですが、「12月にインドへ納骨」「8月には幼稚園の100周年事業」「飛び入りで戦災樹木の取材」があり、例年にも増して様々な動きがあったな、と振り返りました(振り返れるだけの余裕ができた、ということですね)。

 お檀家さんのご法事では、よく「一周忌と三回忌は数え方、つまり単位が違います。三回目のこの季節がやって来たということは、新たに始まる一年を見て言っているのです。過去を振り返るばかりでなく、前を向きましょうというメッセージだと思います」などと話しています。

 かつて歌手が「目に映る 全てのことは メッセージ」と歌いましたが、私達は見るもの聞くものにつけ、何かとメッセージを読み取ろうとする傾向があるのだろうと思います。そして、その集積がナラティブ(私の人生についての物語;佐藤訳)。「私の人生、こうだったのだから今後も同じに違いない」「この話は実は私のことを指している。私はこう行動せねば」。仏教的に見れば色々と問題の元になりそうな(人生理解のための)仕組みですが、かの養老先生によると「脳がうまく働く為の仕組み」でもあるようですから相当強固なものだと思います。しかし、この「ナラティブ」という言葉を使うことで、すごく色々なものに見通しや整理がつくように感じています。

 「今日ご出席いただいた皆様は、佐藤良純の人生物語、ナラティブのどこかを担って下さっている方だと思います。仏教ではおそらく「縁ある者」、ということになるのでしょう。もしそうであるならば、逆から見れば皆様のナラティブのどこかに、佐藤良純が登場しているのでしょう。良い思い出、そうでない物もふくめ、皆様の生きてこられたナラティブに彼が何らか影響しているのであれば、私としてもとても嬉しい事です」といったお話をさせて頂きました。

 改めまして、彼を覚えてくれている・あるいは著作などを通じて知って下さっている皆様に、感謝申し上げます。