年頭に当たり(散文で書いてみた)
「古臭い」という言葉について
世の中で、時々こんな言葉に出会います。
「仏教? 何だか古臭い感じー」。
確かに仏教は、古くから存在しています。
お寺も、仏像も、お経の言葉も、どれも最新の流行やテクノロジーとは、だいぶ趣が異なります。
そう考えれば、「古い」という印象を持たれるのも、無理のないことかもしれません。

そして正直に告白すれば、私もその感覚を持っていました。
この言葉に引っかかるのは、
私自身も同じだったからでしょう。
けれど、ここまで来て、いったん手放して観察してみます。
「古臭い」という言葉は、いったい何を指しているのだろう、と。
年号が古いことでしょうか。
見た目でしょうか。
「くさい」が怪しいですね。
「今の自分の生活とは関係なさそう」という距離感でしょうか。
もしくは、逆向きの頭ごなし、かも知れません。
「古臭い」の古臭さ
考えてみると、「古臭い」という言葉そのものが、実はかなり長い歴史を持っているようにも思えてきます。
「近頃の若いものは…」という嘆きが、いつの時代にもあったように、
「古臭い」という評価自体も、実はずっと昔から繰り返されてきた言葉なのではないでしょうか。
まるで、サーブとレシーブみたい。
そう考えると、「古臭い」と言って何かを切り捨てる行為は、
いつか自分自身が、同じ言葉を向けられる側になる未来を、
見越しているようにも感じられます。

その時、自分は
自分は、その時どうするのだろうか。
受け入れるのか、抗うのか。
あるいは、苦笑いしながら受け流すのか。
正直なところ、その場その場で判断するしかないのでしょう。
昔は「数え年」と言って、お正月を迎えるたびに、
誰もが一斉に歳を重ねました。
良くも悪くも、全員が同じタイミングで、少しずつ「古く」なっていったのです。
そこには、
誰かだけが取り残されるわけではない、
ある種の覚悟や公平さがあったようにも思えます。
私自身も、いつか必ず「古臭い」と言われる側になるでしょう。
その言葉を投げつけられるのも、
一度きりでは済まないかもしれません。
そのたびに、正面から向き合うのか、距離を取るのか、
詰めるのか、引くのか――
それはきっと、その時々のご縁と状況によって決めるほかありません。
ただひとつ、確かなのは、
その言葉を向けられる可能性を、最初から織り込んで生きていくこと。
年のはじめに、そんな覚悟を、
そっと胸の片隅に置いておこうと思います。
今回のAI使用は、イラストとデイスクリプションです。
イラストに込めた意味:
- 仏教寺院の荘厳さ – 古刹の仏像や寺院が静かに佇む姿で、伝統の重みを表現
- 時の循環 – 円を描く流れのモチーフで、「数え年」のように皆が一斉に歳を重ねる様子を象徴
- 桜の散り際と新芽 – 古いものが去り、新しいものが生まれる永遠のサイクル
- 朝の光 – 年頭の清々しい始まりと、新たな覚悟を表す柔らかな光
- 伝統と現代の共存 – 古いものと新しいものが対立せず、静かに調和している様子
- 金色と灰色の調和 – 仏教美術の荘厳さと、時を経た落ち着きを併せ持つ色調

