お施餓鬼お勤めできました
去る6月1日、光圓寺のお施餓鬼会をお勤めすることができました。私が住職になって3度目、子どもの頃から数えれば、それこそ50回以上は出ておりますが、立場が変わると感じ方も見え方も随分と変わります。
ある先輩が、ご自坊でのお勤めで「いや、良いお天気になりました。これはお檀家の皆様の、日頃の行動の良さと、あと私の行いの良さでもあります」と微笑んでおいででしたが、私はただただお天気と曜日の巡り(日曜日)の良さを有り難るばかり。私なんぞにお天気をどうこうする力はありません。

それにしても!本当に多くの御縁の方にお参りいただき、心から有り難い思いでお勤めさせていただきました。お寺のホームページを始めたのは「コロナでお寺に出向くことが難しくなった。これからは直接的な繋がりが減ってしまうのだろう」という危機感からでしたが、その裏返しとして「本堂に準備した椅子が殆ど埋まっている」という「一緒にお勤めする」実感はとても大きいものでした。
お越しになった皆様と一言ずつでも挨拶お話しし、お弁当も一緒の机で食べ、「お隣の方と知り合いになってくださいね」とお声がけしているのも、「人が集まり、声や思いを合わせることの有り難さ」を私自身強く感じているからであると思います。
また、昔は(それこそ20年以上前)先代住職の御縁で学生さん達が手伝いに来て下さったり、総代さんの奥様がちらし寿司を作って下さったりと…まさに隔世の感ありなのですが、今では我が家族が(それなりに)手伝ってくれ,文字通り「家族総出」で動いてくれました(当時の学生さんは、自身が父となった今でも来てくれます)。現代では「行事というのは、お金で人手を頼んで行うもの」というのが標準形のように思われていることもありますが、お施餓鬼会は「ウチのハレの日」であり、「みんなでやり遂げられた」のは、とても幸せなことであると思います。




一方で、現場でもお話しましたが、大銀杏の木についても考えねばなりません。物理的に、あるいは記憶の中で何とか留めながら、安全という難しい問題にも取り組まねばなりません(早速お檀家さんから樹木医さんを紹介していただきました)。今後、もしかすると「戦災樹木連絡会の創設」とか「写生・写真大会の開催」とか工事とか考えていかねば。
…今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。お参りいただいた皆様、オンラインで視聴して下さった皆様、お越しにはなれなかったけれどご供養いただいた皆様、思いを寄せてくださった皆様、ありがとうございました。心より感謝申し上げます。