アニサキス・心のワクチン
ワタクシ、この夏に当たりました。アニサキスに…。「坊さんが生魚なんか食べるからだ!」とは流石に言われない気がするのですが、「何か行い悪いんじゃない…?」という感じは、あるかも知れません。私は普段、(自分ごとで)あまり病院へは行かないのですが、久々に行って自分を観察すると、色んな事が頭を巡ります。
自分の苦しみをネタにしてこそ一人前なのかもね。
地元の居酒屋で、昵懇の営業さんと懇親会。私の方から声をかけて実現したものです。多種多彩な幼児教育の実例を聞き、イヤ小学校前の教育って本当に大切!可能性大きい!とか大いに盛り上げっておりました。お造りの5点盛りとかお願いして、「何か特に入れましょうか?」「あ、アジお願いします」とかね。日本酒も呑んで上機嫌。更に帰宅してからネットの勉強会で「主体性とは何?能動性と違うの?ワガママと何が違う?反対の言葉を考えれば特徴が出るのでは?」とか、これまた上機嫌で色んな方の話に耳を傾け大いに楽しい時間を過ごしました。
そして布団に入り、午前3時ごろ…お腹が痛い!今までに経験したことのない痛み!局所的!痛みで目が覚め、すでに冷や汗をかいています。
「これはアニサキスだな」
もう直感で思いました。手元のタブレットで調べると、まさに典型的な状況。ガブリと噛まれて痛いのではなく、それで腫れてしまって痛いのだそう。「人間の体内で生きられるのはせいぜい1週間です」と書かれているが、それだけの期間、このまま耐えるのは絶対無理!「文京区 アニサキス 内視鏡」と検索して、近所のクリニックを発見。幸い診察券のある所だったので、「絶対今日行く」と決心して、目をつむりました(実はこの時、左腕に神経痛を抱えていて、ダブルの痛みで苦しんでいました)。
そして日が明けて、電話して、「今から行きます!」と切羽詰まった声でお願いし、自転車をこぎ、診察してもらいました。問診では「薬も出せますが?」と言っていただいたのですが、「イヤ見てください、取ってください」とお願いし、鼻から喉まで麻酔していただき、人生多分2度目の内視鏡。
そうしたら、作業中に看護師さんが背中をさすってくれたのです。それで痛みとか苦しさが取れる訳ではないんですが、ただただ有難かったです(もしかして、暴れたら抑える役だったの?)。先生は、作業中は何も言わず、管を抜いてから「いや、いましたよ。3匹。みんな取れたと思います」とニッコリ。患者を安心させるためか、楽しかったのか分かりませんが笑顔が素敵でした(余談ですが、表情の豊かな先生って、何とも信頼できます)。
そろそれろ「心のワクチン」の話にシフトしようか。
今回改めて思ったのが、「知っている事が身を救うことがある」という話です。今まですでに報道とかで見聞きしていたり、知り合いの園長先生が(2人も)この夏アニサキスに罹って、経緯とかを聞いていたので自分の身に起きた時にも「これは!」と確信して調べる事ができたのです。噂では「救急車を呼ぶこともある」とのことですが、落ち着いて対処する事ができました。
これは、以前の新型インフルエンザが出た時に「知るワクチン」という言葉があって、「知る事で落ち着いて適切に対応できる」…その通りですが、本当にパニックにならずに済みました。よかった知っていて。「知っている」ことに意味があるんだ、ということです。
お彼岸会で、「終活」の一つとして、「お葬式ができたら、お寺とこんなやりとりがあります」というのを、あらかじめお伝えする機会を作ろう、と考えました。
今後誰しもが、家族の看取りや葬送に関わる機会を持つ訳です。もちろん感情的に「平静と同様」とは行きませんが、「こういうことをする・準備する」ということを知っていることは、ワクチン的(別にこれは病気じゃないのですが)に「落ち着いて適切に対処」することにつながると考えています。
私も2年前の父の時は「何とかやり終えた」と思います。それは周りに多くの信頼できるプロがいたことも大きな要因ですが、葬送について何度も経験して「知っている」というのも大いにプラスに働きました。やることがたくさんある中で、なるべく納得のゆく(無闇でない)判断・選択をしたい。そのためには「人が亡くなると、お寺との間で、どんなやり取りが発生するのか」は知っていて良いと思います。
9月22日(日)午後1時から お彼岸会(お葬儀ができた時 + お彼岸のお勤め) 本堂にて