喩え話…言葉の受け止め方
浄土宗東京教区での「3分間法話」に、出演させていただきました。タイトルは「譬え話」です。
現代は、「言葉は額面通りに受け取る」風潮があると感じます。おそらく世の中がプログラムによって動いていることが増えたからだと私は考えています。プログラムは本質的に「ありのまま」にしか書けないもの。命令とかオーダーと同じ類であると思います。生活様式の変化から、私たちの 言葉の受け止め方 が乏しくなっているように感じることがあり、この動画を作りました。
プログラムはダイレクトでしか書けませんが、人間の話すことには「譬え話」と「伝えたいこと」があり、後者はイイタイコト(しかし抽象的になりがち)ですけれど「何を具体的な喩えとするか?」は非常に人間らしい部分だと思うわけです。ビデオ中でも話していますが、「論説文で、具体例を挙げながら抽象的な主張につなげていく」みたいなことです。
お釈迦様は、お悟りを開かれた時に「この教えは余りにも難解だから、理解できる人はいないだろう。ではどうすれば伝えられるだろうか…」と考えて、譬え話を以て伝えることを選択されました。それであれば、相手に応じた具体性を持って、抽象的になる真理(例えば、お互いみな相互作用の中に生きているのだ)を伝えたというのです。
つまり「譬え話をうまく使える」というのは人間特有のこと…「人間らしさ」と言えると思うのです。だって、話者と聞く側の関係によって適切な喩えは違ってきますからね。そして「聞く側の留意点」としては、「これは譬え話なのか?伝えたいことなのか?」を聞き分けなければならないということです…。どうぞご視聴ください。