答えない
先日、ある先生のページで「すっとぼけ」の大切さを書いておられるのを見ました。その方はソクラテスから学ばれているので「無知の知」につながるエピソードだな、と思います。つまり「自らが、それを知っていない」ことの自覚こそ大切なのだ、知ったかぶりをするより、知らないということをちゃんと味わえ、ということなのかと思います。無知の自覚も、先生が簡単に教えてくれないことも、「自分で考える」に連なっていると。
しかし更に、この「すっとぼけ」は(対話・会話においてなされるわけですから)相手を育てよう、自ら考えさせようという態度でもあるというのです。誠にその通りで、私自身の経験としてもたくさんの先輩や先生から「まずは自分で考えてごらん」という導きをいただきました。そしてそれは、今も「初見の課題について、まずは自分で考えてみよう」という態度に繋がっていると思います。
しかし現代は、そういう育て方が難しくなっているように思うのです。理由は明白で「分からないなら、まず検索しろ」が現代の行動様式だからです。そして更に「検索して分からないものは分かりようがない」に進んできている感じがするのです。例えば「自分の生きる意味を検索したのですが、出てきませんでした。どう生きていけばいいのか分かりません」という相談。私なりに見解は出していますが「検索して出てくるもの」と「そうでないもの」の見分け…たぶんリテラシーとかいう奴なのでしょうけれど、すでに切り捨てられているような気がします、「簡単に」の大義名分のもと。(続く)