嫌いだ
このところ、何だか「短いタイトルシリーズ」のようになってきましたが、今回は「嫌い」という言葉…というか表現について述べたいと思います。
実は先日、4歳の娘に言われました。「お父さん、大っ嫌い」と。ホホー、そういう表現を使うんだな、と思いながら「ふーん、まぁ、お父さんそれで結構だけれど」と返したら、「私のぬいぐるみ達も、お父さん嫌いって言ってる!」とのこと(かわいい←親バカ)。「うん分かった。じゃ、今日はもう遊ばないで寝ようね」と流れていきました。
実はここに至る私とのコミュニケーションの中で、娘は追い詰められていたのです。それで苦しくて、それ以外に対応が見つからなくて、「大っ嫌い」と。何とも可愛らしいですが、本人が取れる選択肢は、他に「ごめんなさい」しかなかったでしょうから、致し方ないでしょう。
大人で言えば「逆ギレ」…そういえば最近あまり聞かなくなりましたが…は、周りの誰が彼女に見せたのか分かりませんが、(本人にとっての)問題解決・問題打開の一つの選択肢です。はたから見れば「ここは謝るよりなかろう」という時に、「何とかそれを逃れたい」ための行動です。
それが出るのは、「嫌いと言うこと」が何かしら有効である、と学んでいるんだろうね。
そうですね。すでに学んでいるか、あるいは誰かにそう対応されたか。この一手が出て、コミュニケーションの流れが変わったんでしょう。それで、同じようなシチュエーションとして「大っ嫌い」を放ってみた、と。
でも結果として、お父さんには取りなしてももらえず、遊びも終わってしまい、彼女に得るものはなかった筈です(ごめんなさい、を言うのを回避できただけ)。そういったことから、「嫌い」って言ってもメリットはあまりないなー、と学んでほしいのです。
しかし、世の中ではいろんな反応があるでしょう。「そんなこと言わないで。機嫌直して。嫌いにならないで。ジュース飲む?」とか。そんな反応をもらうと、意識するかは別としても「しめしめ、これは有効な手だぞ」と学習するのでしょうね。
まぁ、子どもだから許される言葉でもあるよね、「嫌いだ」っての。大人とかいい歳になってから使うと…「あああ、それしか打つ手はないの?」って思っちゃう。自分の不快を示すのはいいけれど、さぁご機嫌取ってよ、ってのは大人気ない。「こうしてほしい」を明確に言えなきゃね。