「いいよ」

 先月の終わり頃から、世界ではきな臭いことが起きています。日本で生活していると、「ガソリン代が上がったな」程度にしか肌身には感じていないのですが、エネルギー大国がゴタゴタしているのですから、生活の基盤が揺るがされかねないと心配しています。
 さて昨日のニュースで「てぶくろ、という童話はウクライナの昔話だ」と紹介されていました。今まさに幼稚園ではこの絵本を劇に仕立ててご披露しようと、練習している子たちがいます。(今回のことを意識しているとは思いませんが)「劇では、いろんな動物が来ても”いいよー”って入れてあげる仲良しの話なのに、どうしてミサイルとか撃つの?」と子どもたちが思っても不思議ではありません。
 物語では、寒さから身を守るために、狭い手袋の中に様々な動物たちが入っていきます。まさに「ツメツメ」。「もう混んでいるよ」と答えられても、クマか何かが「いや、どうしても」とか言って入ってくる。お互い寒さから身を守るため。それを分かっているのですね。「この手袋はもともと俺のだ!」とか「どけ!出ていけ!」と言う動物はいません。

 けれど、現実に起きているのは「俺のものだから言うことを聞け」(と私には見える)という乱暴な話。自分の思いにそぐわない相手は追い出そうというのです。「ここはもともと我々の領土だ」とか言って。我々じゃなくて「我々の先祖が」でしょ、と思うのですが。
 さて、これを仏教的に見ると、「所有しているということが”手放したくない”という煩悩につながる。だから所有を捨てなさい」という理論を思いつきます。「もともと誰のものでもない自然を、今たまたま縁があって使わせていただいている」のですから「過去には、その縁があってご先祖が使っていたのでしょう。でも今は縁が変わったのではありませんか?」というのが仏教者として発言すべきことかと思うのですが…いかがでしょうか。

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