行くべきか

 秋のお彼岸期間となり、お寺へお参りの方が増えておりますが、例年よりは少なく…時間帯によっては閑散とした雰囲気さえ漂っております。ですので、それを好機として、「いつもより、ゆっくり話せるお彼岸」を過ごしております。

今年は休日(土日と祝日)が連なっているからお参りの予定も分散し、お天気も崩れがちだから出控えにも繋がり、コロナが心配だから出歩かない、という条件が重なってしまっているからね。

 そんな中、「お婆ちゃんにひ孫を合わせるかどうか、悩みました」というお話をいただきました。引っかかるのは当然「新型コロナウイルス感染症」です。

 普段から結構行き来はあったものの、新型コロナが世間を賑わすようになってから、「ひいお婆ちゃんに会いに行くべきか」で悩んだそうです。で、実際しばらくは会いにいかなかった。そうしたらお婆ちゃんの方が、「何かある、っているのは新型コロナだけじゃないから。それに、会えないこと自体も寂しく辛いことよ」と仰ったのだそうです。

 確かに世間は「新型コロナ対策を第一にして」という風潮ですが、数字で言えば交通事故犠牲者が年間3000人強でコロナが現在1500人程度。ただ自殺者は8月末で13000人ほどで、癌での年間死亡者予測は380000人程度となっています。

 いつだったかテレビで「このままでは日本で1000万人が…」ということを言われていて、それは現実にはなりそうもありませんが、「コロナ対策が全てに優先する」というのは偏ったやり方であり価値観であると思います。

 我々は、すでにそれを行なってきてしまった結果として、「その行動に合う(正当化する)価値観を身につけてきた」ような気がします。価値観の共有は悪いことではないかも知れませんが、「自粛警察」とか言われる行動まで出てくるとすると、同調圧力というか日本人の悪弊が顔を覗かしいてるように思います。

 件のお家では、「ひいお婆ちゃんに会いに行く」を再開したそうです。「コロナ対策」としてはNGなのかも知れませんが、お婆ちゃんの・小さい子たちの幸せを優先したのですね。どのみち「なんのリスクもない生活」は送り得ないのが我々です。であれば、単一の価値観に翻弄されるのではなく、「いろいろ考えて、これ」を選ぶのが良いと思います。「後悔はしたくない」気持ちは分かりますが、それも度を過ぎると煩悩となり、却って幸せから遠のくような気がしてなりません。

良寛さんの、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」これって、凄みのある言葉ですね。

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