伝えていくこと
先日、思い立ってカフカの『ペスト』を読みました。そこでの人間模様とか社会の状況などを見たいと思ったのです。
街がロックダウンされ、買うものも配給制となり、手紙もストップして学校も臨時病院的に使われ…と、今と似た状況や対策が取られていきます。そして、その中で作者なりに「大切なこと」がいくつか行われ、最後は血清ができて収束していくのですが、色々と考えさせられました。
役人がさいしょは現状を認めたがらなかったり、神父さんが神の罰だと言っていたりと、いまに通じる興味深い記述が多いです。
その「大切なこと」の一つは、「自分の仕事を誠実に勤めること」であったと思います。病気の蔓延に対して、誰かスーパーマンが現れてすべて解決していく訳でもなく、もちろん神様が現れて人々が悔い改めて不思議と治癒していく、ということもありませんでした。そんな「誰か他者」がものすごい力を発揮することはなく、語り手である医師も周りの人たちも、自分の仕事を誠実に続けていくこと。それがこの理不尽な世界で人間ができる一つのことだと思いました。
もともと身元の危ない人が、周りの変化によって却って元気に上機嫌となり、日常が戻りそうになった時に錯乱したのも印象的だね。
もう一つは、この小説が記録の形を取っていることで、「もし伝染病が蔓延すると、こういうことがあるかも知れないよ」と、「伝えることで心構えを作る」というのも作者の意図した所なのかも知れないと思いました。何年か前の「新型インフルエンザ」の時にも「知るワクチン」という言葉がありましたが、病気に関してだけではなく、「社会がこうなるかも知れない」を知っているのは、「何が起こるか分からない」という不安に対して、一定の役割を果たしてくれると思います。
そして思い出したのは、私の親以上の世代が、「昔の戦争の時には、こういうことがあってね…」という昔語りです。私は当時「また、その話ですか…」と感じることもあったのですが、当事者であった彼らにとっては、「伝えなければならないこと」であったのだろうと思います。そしてきっと、私たちは「令和になった頃、新型コロナウイルスというのがあってね…」と昔語りをしていくのだろうと思います。
今、私たちはどうも、「目の前の興味あること」にばかり目を向けているような気がします。何かを読もうとすれば、「これも興味あるでしょ、これもいかがですか」とばかりに結局広告へ誘導されるような日々を送っています。でも、そういう「フワフワした生き方」ではなく、「歴史に根ざした生き方」をすべきだと思うのです、いまこそ。
古典を読んだり、昔の話を聞く。よくお通夜の席で、「故人の昔話をしてあげてください」と申し上げますが、そういった「自分の先祖を通じて知る、普遍的な価値観」に触れておくことは、大局観を持つためにも大事なことだと思います。